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荒俣宏 応援団長 ECフィルムを語る&ECフィルム活用宣言!

ECフィルム応援団長・荒俣宏
エンサイクロペディア・シネマトグラフィカを語る。

この度、EC応援団長をお引き受けくださった博物学研究者の荒俣宏さん。

2016年7月23日にインターメディアテクにて開催された『キネマ博物誌―映像による万有知の構築』終了後、ECフィルムの魅力と歴史、これからの展望について熱く語っていただきました。

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ECフィルムは研究者の「意気」にあふれた宝の山

—— 今日、ECフィルム上映&対談『キネマ博物誌―映像による万有知の構築』にて、たくさんのECフィルムを観ていただきましたが、いかがでしたか。

荒俣 EC、これは勧められます。

私も、これまで色々とゴミ箱に廃棄寸前の色々な学術資料を見て参りましたけれども、ECフィルムは、かなりわかりやすい宝の素材が転がっているのを確認できる材料でしたね。

とてもよかったのは、1950年代から70年代という、日本だと研究が十分に発達していなかった敗戦当時の映像が、海外でどの程度進もうとしていたか、そして現在の民族学や動物学の戦後のスタート地点の20年間が区切られているので、まだ新しい研究は始まらないけれども、とりあえず古い研究をちゃんと残してみようという意気にあふれた、実験的な映像が大変豊富であること。

中にはアートとしても通用するものもあるので、全体的にみると、バランスがとれたコレクションだということがよくわかりました。

ECフィルムをじっくり見、じっくり語り合うお二人。会場は一体感に包まれた。(2016. 7.23『キネマ博物誌―映像による万有知の構築』於:インターメディアテク2階ACADEMIA)

ECフィルムをじっくり見、じっくり語り合うお二人。会場は一体感に包まれた。
(2016. 7.23『キネマ博物誌―映像による万有知の構築』於:インターメディアテク2階ACADEMIA)

 

人類が電気なしでも大丈夫だった頃の最後の勇姿が、ここに

荒俣 特にドイツなんですよ、問題は。

ドイツがやりはじめたということにとても重要な意味があって、ドイツは植民地戦争では遅れてきたグループですが、いいところが残っていた。

特に、他の国々が「ここはだめだ、なんにもないや」と言って手を出さなかったニューギニア。それから、ポナペ(ポンペイ島)やミクロネシア。海軍上は必要だけれども、「ここ探しても資源はないよな」と割と手を抜いていたところが、実は自然にしても地形にしても、そしてそこに住んでいる人々の民族的な生活ぶりにしても、手がつけられていなかった。ドイツはそこを狙って定期船を渡しドイツの人々を入植させたので、言ってみれば、ドイツが「地上の最後のお宝」のところを押さえていた時代にちょうどECフィルムのような活動が始まった。それが、戦後こういったムービーを撮ることにつながって、研究が一番進んだ要素の部分がここに集まっている、という感じじゃないでしょうか。

特に民族学や人類学の人たちは大喜びでしょう。撮ろうとしたって、もう今は生活ぶりが無いですからね。それが、このECフィルムの中に、残っている。しかも、戦後すぐということは、写真術や映画術がちゃんと確立したちょうどいい時代だったと思うんですよね。

この後はどこもみんな近代化し、ニューギニアだろうがポナペだろうが、テレビなんかが入りはじめるともう無理ですから・・・その寸前くらいだったんで、その意味でも宝は間違いなく入ってる。

少なくとも今日拝見した10の作品を観る限りでは、これは本当に貴重な、人類が電気なしでも大丈夫だった頃の最後の勇姿じゃないですか。これが映像に残っているということは、やっぱり勇気づけられると思います。

ドイツ語による小冊子がまとめられた、ECフィルムの解説書。

ドイツ語による小冊子がまとめられた、ECフィルムの解説書。

 

「自然の知識」を得ることはそのまま「生き残ること」につながっていた

—— 現代に生きる私たちは、ここから何を受け取れるでしょうか。

荒俣 文明の大本は、マニュアルとアナログの世界でした。

これは自然を模倣したり、自然を活用したりすることが非常に重要だったという点で、人間の「自然の知恵」の持ちかたが今と違うんですよ。今は、ただの情報としてしか受け取らない、あるいは画像としてしか受け取らないけれど、昔は、「自然の知識」を得るということはそのまま「生き残ること」につながっていました。ポイントをかならず押さえていたんです。

花が綺麗だとかそういう問題ではなく、花が咲いた後、どんな実がなるか、そして、枯れた後はその根っこに薬の成分があるかどうか、そして、次の世代が大きくなるにはどういう手当てが必要になるか。そういう非常にリアリスティックな、必要欠くべからざる情報を人々は持っていました。まだ研究者が研究のタームに入っていない時の情報なんですよね。これはとても重要です。学者が見るのとは違うランキングがされている。

ドームを作る映像 <→ E0588西アフリカ・オートボルタのリマイベ族によるドーム型家屋の建築(1962年)> も拝見しましたけれども、科学者だったら、すぐ分類や分析に入りますよね。しかし、あの映像は、一日の時間の中で生活がどうやって作られ、子ども達がじーっとみていて、画面の他の場所でいろんなことが同時並行しているという、生活の中の姿が入っていますからね

あれはなかなか、いま見ても感動する映像です。

E0588西アフリカ・オートボルタのリマイベ族によるドーム型家屋の建築(1962年) のワンシーン。あっという間にできあがり、急な移動にも対応できる知恵の詰まった住居のかたち。

E0588 西アフリカ・オートボルタのリマイベ族によるドーム型家屋の建築(1962年) のワンシーン。
あっという間にできあがり、急な移動にも対応できる知恵の詰まった住居のかたち。

 

E0482 東ノルウェーの水車鋸での板づくり (1950年) では、木造の機械が川の水力で勢いよく動き、次々に板を作り上げていく様子が見られた。「電気が発明されても、こういう技術が無ければ電気を何に使えばいいかもわからない」と荒俣さん。

E0482 東ノルウェーの水車鋸での板づくり (1950年) では、木造の機械が川の水力で勢いよく動き、次々に板を作り上げていく様子が見られた。
「電気が発明されても、こういう技術が無ければ電気を何に使えばいいかもわからない」と荒俣さん。

 

「もうとにかく見てくれ!」というパワーを持った、ECフィルムの映像

荒俣 ECフィルムという映像アーカイブからは、不思議なパワーを感じます。

映像アーカイブというと、科学者の冷たい目で必要なことだけ見て、しかも難し〜い言葉で解説しないとわからないような映像なんじゃないかと思っているところがあったんですが、このECフィルムに集まっているのは、ナレーションも何もないというところからはじまって、「もうとにかく見てくれ!」という映像であることがよくわかりました。

中には、ものすご〜い退屈するのもあるんでしょうけど、その退屈は退屈でとても重要な体験になるんじゃないかなと思いますね。だから、こういうものがもうちょっといろんな形で広がる、ということが必要なんじゃないですか。

少しずつフィルムの状態をデジタルに変えて、みんなが少しでも見やすいようにしていって、さらに「これにはこういうものが入っている」という一点一点の検索コードをいれることができたらいいですね。この作業はみんなで手分けしてやらないといけない。

ECフィルムを見た人が、それぞれのお気に入りの映像にいろいろな内容をコードとして与えていくことができれば、映像なんだけれども、同時に言葉としても引っ張ることができるという大変使い勝手の良い映像の姿になるでしょう。

今は保存することも大変重要ですが、それと同時に、拡散することも重要なので、この拡散する役割というのを、博物館なりこういう研究プロジェクトが持たないと、おそらく、時代に即応するようなものにはならないと思います。

これに関わるということは、「人類のためにちょっと協賛した」という意識でやっていただければ、一番いいと思いますね!みんなで楽しみながら、探す。それこそがECフィルムの醍醐味です。

「"神"や"美"のような高度な部分をなくしてしまうと、おもしろいことをやるんです。」と、科学者の視点で撮られたフィルムの特徴を的確に表現。

「”神”や”美”のような高度な部分をなくしてしまうと、おもしろいことをやるんです。」と、科学者の視点で撮られたフィルムの特徴を的確に表現。

 

見る人の参加こそが重要 ECフィルムをフィールドワークする、冒険の旅へ
荒俣宏より、”ECフィルム活用宣言”!

—— では最後に、これからみなさんと一緒にECフィルムを「楽しみながら探そう!」という、
“ECフィルム活用宣言”をいただけますか。

荒俣 ECフィルムはたぶん、全部観た人は誰もいないと思います。

みなさんが部分部分を見、自分の関心を持つところから初めて、「こんなおもしろい映像があったぞ!」ということをアナウンスしてもらうことによって、だんだんその価値が高まっていく。

見る人の参加が重要なんです。

まずそれを、いま私たちが応援しようとしているECフィルムの上映会などを通じて、みなさんと一緒にやっていければと思います。

これ、おもしろいですから、やりましょう!

 

上映会&対談終了後のお二人。まだまだ話が尽きない・・・!

上映会・対談終了後も、お宝探しに余念のない荒俣団長。その目はいつも、きらきらと輝いています。

 

荒俣 宏(あらまた ひろし)
わたし、荒俣宏は1947年7月12日、東京生まれ。幼稚園のときに、近所の貸し本屋で、宇宙から化け物まで、本の世界を探検しはじめた。中学生になると、海の世界のすばらしさにおどろき、生物採集に熱中。また、絵が得意だったのでマンガ家をめざした。大学生になって文学のおもしろさを発見、英語のファンタジー小説を翻訳する仕事をはじめた。サラリーマン時代には、コンピューターの担当となり情報科学や人工知能などに飛びついた。32歳で会社を辞め、百科事典づくりに参加した。百科事典の項目に「トリヴィア情報」を加える仕事をしたあと、博物学という古くて新しい学問を再発見。博物学を広めたいと思うようになってからは、多くの本を書き、テレビにも出演しつづけている。
<「アラマタ大辞典」(講談社 2007年刊)より>

 

(text: 佐藤有美+津田啓仁 photograph: 下中桑太郎)