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連続上映会12「荒俣宏プレゼンツ 夏休み懐かしの理科映画+ECフィルム」

2017年8月2日荒俣宏プレゼンツ、第12回EC連続上映会

ポレポレ坐を会場に、終戦後の1950年代に作られた映画「サーカス水族館」、ECフィルムの動物フィルム3本、そして、荒俣さんが実際にフィリピンで撮影された水中映像を上映しました。夏休みにふさわしい、涼しく、好奇心のかきたてられる映像体験でした。
上映作品と荒俣さんによるトークのハイライトをご紹介します!

 ①「サーカス水族館」
1950年代に製作されたこの映画は、末広恭雄著『サーカス水族館』(1956年)を原作とした科学教育映画です。原作は、戦後日本の生物学の第一人者が、科学をより面白く、体験に根ざした形で経験できるように、という目的で描いた物語であり、動物行動学の基礎的な素地と、人間の科学的探求心というテーマが込められています。
映画では、「なぜ金魚が音楽に合わせて踊るのか」という問いと共に物語が進行し、戦後の上野の街を舞台に、素朴な問いに触れた少年たちの探求と、それを取り巻く人間模様が描き出されます。

トークでは、この映画の舞台となった戦後当時の上野の状況について、ちょうど同時期の上野で幼少期を過ごした荒俣さんの記憶と共に、お話がされました。
戦後、多くの浮浪児が発生した結果、バラック小屋では出自のわからない子どももまとめて世話する家庭があったり、教会が保育園と病院を併設して浮浪児を保護したりしました。そのような生活環境の中で、主人公の少年たちは、偶然「金魚の踊り」を目撃し、その金魚を盗み出しますが、そのような盗みと謝罪を含めて科学映画としての作品になっています。

盗んだ金魚を持ち主だった博士に返しにいくシーンでは、上野から小千谷(新潟)まで列車で向かいます。そして、小千谷で博士を探し出し、直接謝った後にはじめて、「金魚の踊り」の背景について知ります。このように、疑問に触れてから答えが見つかるまでに要した時間と距離は、現代では想像し難いものであり、この映画の見所と言えるでしょう。電車で小千谷まで行かないと解決しない問題というのは、今の世の中そうそう存在しないのではないでしょうか。
そのような、好奇心が育つ時間、好奇心を持ち続ける力の大切さは、この映画の一つの大きなメッセージである、というお話がされました。

 ② EC短編作品3本
ECフィルムからは、「イザリウオの走行」「キタリスの餌の陰匿」「ベルベル族の土器づくり」が上映されました。

まず、「イザリウオ・有対尾びれを用いての走行」では、イザリウオの奇妙な風貌と腹ビレ付近に位置する特徴的なエラが、映されました。エラを撮影するために、ガラス床の下からカメラを用いたりなど、実験室の利を活かした映像ならではの撮影がされています。
イザリウオは、江戸時代に江戸城でも披露されたことがあるなど、昔から特異な風貌で親しまれて来た魚だそうですが、今回の上映でも、水中を歩く涼しげなイザリウオに癒されました。

次に「モロッコ・ベルベル族の土器作り」では、ベルベル族の女性が土を掘り、捏ね、土器に成形していく過程が映されました。1952年制作の、ECの中でもごく初期のフィルムですが、人間をその「行動」の比較から観察しようとする当時の姿勢が伺えます。動物行動学と同じ精神で、人間の行動を見ようとする意味合いがあります。

最後の「キタリスのエサの隠匿」では、実験室の中で土を掘り返してエサを隠すキタリスの様子が映されました。キタリスは冬眠をしない代わりに、エサを隠し、冬の間それを食べて過ごします。ベルベル族の女性に負けない、素早いリズムで土をすくう手つきは可愛げがありました。
このフィルムもおよそ60年前のものですが、当時このような映像は実験室でしか撮影することができませんでした。機材の小型化、携帯化以前には、実験室の擬似環境でキタリスがどう行動するかを観察することしかできません。
「自然」をどう扱うか、私たちが見る「自然」ってなんなのか、ということの、当時の一つの実践が見て取れます。

③荒俣さん撮影映像
スペシャル映像として、ダイビングを長年の趣味とする荒俣さんが実際にフィリピン・オスロブで撮影された水中映像も見せていただきました。

 ◯ジンベエザメ
まずは写真スライドと共に、ダイビングまでの行程や背景知識について解説されます。特に印象的だったのはジンベエザメの胎児のスライドです。ジンベエザメの300もの胎児が漁港で並べられているスライドで、卵胎生(卵を体内で孵化させる繁殖形態)で生まれてくる胎児の大きさに驚きました。
映像は、ジンベエザメの食事風景を中心に撮影されています。
ジンベエザメは、水面に対して垂直な姿勢で水面付近の水を吸い込み、プランクトンを捕食します。その様子が数十センチの距離で撮影されており、大迫力の生き生きとした映像を鑑賞することができました。

ここまでの上映作品と決定的に異なるのは、撮影者が実際に海の中から撮影している点です。ウェアラブルなカメラを用いることで、撮影者の身体的な位置や動作、距離が映像に現れています。また、編集されていない、ワンカットのシーンなので、実際の体験の時間経過をそのまま映し出しています。

 ◯ヒカリキンメダイ
ヒカリキンメダイも同様に、水中で撮影しています。
夜の暗闇の海中をヒカリキンメダイの群れがダイナミックに揺れながら移動してくる光景は、もはや映像では伝えられないような、とにかく想像を掻き立てられる、貴重で壮大なものでした。漁師の巧みな人工灯のさばきによってヒカリキンメダイの群れが網にかかるよう誘導されていきますが、その漁法自体がある種の曲芸のように見え、まるで野外のサーカス水族館のようでした。

また、映像では光と音のみが記録されますが、実際の体験では、水中の平衡感覚や闇の深さ、呼吸のリズムなど、全く別世界の経験だったのではないか、と想像されます。実際に見てみたい、という欲求を強くかきたてられる映像でした。

 「科学映画を作ってみよう!」

全ての映像上映後、「皆さんも自分で科学映画を作れる時代なんです」というお言葉がありました。中学時代から海に潜って海中生物の幼生探しをしていたという荒俣さんですが、当時は映像がないという問題のため、誰も関心を持たなかったそうです。
ですが、近年、映像技術の高まりと共に、プランクトンや深海生物がブームとなりつつあります。こうした時代にあって、自分で対象に出会い、興味を持ち、撮影して発信することはとても簡単になりました。
この点は、『サーカス水族館』の作者・末広恭雄と通ずる点でもあります。
科学教育の原点には、科学を、研究室の中で器具を用いてシコシコ励むものではなく、無数の偶然と出会いの中に生きて、何かに疑問を持ち、確かめる、そして発表する、という一連の過程として捉える、ということがあるように思います。
科学的な法則の真偽がどうあるか、ということではなく、それを人間がどう捉え、どのような態度で向き合うか、その法則の中でどう生きるか、が問われているのではないかと思います。

何かに驚きたい、と同時に、誰かを驚かせたい、という気持ちも溢れた荒俣宏プレゼンツ連続上映会でした。荒俣さん、貴重なお話と映像をありがとうございました!

津田啓仁(EC活用チーム・メンバー/東京大学大学院)