EC応援団 Vol.2
佐藤 剛裕
フィルムの中の邂逅
ECフィルムのチベット・ヒマラヤ資料を概観して。
過日、『ECフィルムを見る 連続上映会』の企画のため、カタログの中から抽出した数時間分のチベット・ヒマラヤ地域の資料を試写しました。ECフィルムのチベット・ヒマラヤ関係の資料は、チベットを取り巻く政治的な情勢のむずかしさや、当時のチベット研究者の関心がオリエンタリズム的な期待感を含んでいたことから、他の地域の民族学フィルムとは異なり、一般的な生活技術を淡々と撮影したタイプの映像はほとんどありません。ですが、チベットの仏教やボン教、その根底に流れるシャーマニズムといった宗教文化に関する記録としては、今はもう失われてしまったような大変に貴重な場面が数多くおさめられています。フィルム保管庫から出してきてもらった16mmフィルムを、スティーンベックという試写機にかけてほんの小さなスクリーンで観ていると、息を飲む場面がたくさんありました。
このアーカイブに含まれるチベット資料で最も古いものは、大著 “Oracles and Demons in Tibet” の著者として知られている、ウィーン大学の René De Nebesky-Wojkovitz 博士が撮影した映像の数々です。彼は1950年代初頭にヒマラヤ周辺地域を歴訪して、仏教の中でも密教の護法尊や土着の神々のことや、寺院の中で行われる密教舞踊について詳しく研究しました。チベットの宗教文化を仏教学としてではなく、民俗学的に研究する糸口をつかんだ先駆者の一人です。例えば、巡礼者による仮面の舞い などは、日本の万歳にも似たチベットの門付け芸で、現代ではめったに見られなくなっているものです。ここに収蔵されているものの中でも非常に貴重なものだと言えます。また、シッキムのペマヤンツェ寺院での宗教舞踊は、彼の著書 “Tibetan Religious Dances” のための調査時に撮影されたものです。1950年代のチベット研究において映像資料を持っている論文があったということは現代のチベット研究において殆ど知られていません。チベット学者としてだけではなく、映像人類学者としても先駆的な役割を果たしていたと言えるでしょう。
インドやネパールでは、1959年以降にチベットから亡命してきた人たちが、なんとか自分達の文化を守りぬこうとチベット人居住区を作って根を張って暮らしてきました。私は学部生の頃から、そのような暮らしを送るチベット人たちを訪ねていましたが、とくに1990年代の終わり頃からインド北部のデラドゥンというヒマラヤの麓にある都市の郊外のクレメント・タウンという街にあるチベット人居住区で長いこと勉強していました。このECフィルムの中には、チベットから亡命した僧侶たちによってクレメント・タウンにミンドルリンというニンマ派の寺院が再建されたばかりの頃の1972年に撮影された、年越し祭りでの護法尊供養と、黒い帽子を被った閻魔王の舞の様子が収められました。そこには、お寺を再建するのに功績を果たした先生として写真が飾られているのしか見たことがなかったゾノ・リンポチェという方が自ら儀式を率いて、密教舞踊を踊っている姿が収められていました。
同じ頃、そこから少し離れた場所にあるデキリンという他のチベット人居住区に、ミンドルリン寺で勉強しているお坊さんのお父さんのギュルメさんという方が住んでいて、ラマ・マニという宗教芸能をなさるというので会いに行ったことがありました。ラマ・マニというのは観音浄土の描かれた掛け軸を見せながら念仏の功徳と利益について説いて回るという、流浪の宗教者によって受け継がれた伝統です。しかし私が訪れた時にはその方はお年を召されていて、もう引退したからと芸を見せていただけませんでした。そして何年か後にその街を再訪した時にはすでに亡くなってしまっていて、もう会うことができなくなってしまったのです。ECフィルムの映像のリストを精査しているときに、1972年にダラムサラで撮影されたラマ・マニの映像が含まれているのがわかり、かすかに期待していたのですが、まだお若かった頃のギュルメさんが朗々と見事な芸を披露されているところが写っているのを見つけた時には胸の奥が熱くなりました。
映像人類学にとって、撮影されたフィルムを撮影された人たちにも利用できるように還元するという作業は、大きな課題となっています。そもそも文化人類学という学問が帝国主義国家が植民地に対して行った調査活動を元に出来上がった学問であり、豊かな地域文化を研究しながらもそれを破壊してグローバライズするのに加担してきたという側面があるからです。ECフィルムのような貴重な記録を再活用するためには、観察していた側の者だけが記録を所有して観察されていた側の者が利用できないというような植民地主義的な権力関係を解消し、その資料を彼らの伝統文化継承に役立てるところに鍵があるのではないかとおもうのです。それが、このような貴重な記録を保有している者や、還元に必要な知識を持っている文化人類学者に課せられた責務ではないかと考えています。
ただ、そういった研究倫理のようなことよりもなによりも、ミンドルリン寺でゾノ・リンポチェから教えを受けていたお坊さんたちやデキリンのギュルメさんのことを知る人たちが、この映像をみたらどんなに喜ぶことだろうかということを想像しては顔がほころんでしまうのです。
1973年生。中央大学大学院総合政策研究科修士課程修了(文化人類学専攻)。1990年代よりインド・ネパールを歴訪し、チベット仏教ニンマ派ミンドルリン寺にて密教の基礎を修めた後、ドルポやムスタンなどヒマラヤに現存するギャルタン流のチュウを学んだ。2010年から二年間にわたってトヨタ財団の助成によりチュウ文献保存継承プロジェクトを実施し、手書き文書の翻刻出版を行なう。2014-2015年度には、国立民族学博物館にて映像人類学の共同研究に参加した。
Select Film
仏教徒巡礼の踊り
記号 | 番号 | カテゴリ | 大分類 | 中分類 | 小分類 | 大陸 | 場所① | 場所② |
E | 0260 | 民族学 | 音楽・演奏・舞踊・演劇・語り | 舞踊の仮面 | アジア | 中央アジア | 東チベット | |
場所③ | 民族 | 製作年 | 公表年 | 時間 | 色調 | 解説書 | デジタル | |
チベット人 | 1957 | 1962 | 4:00 | カラー | あり | あり |
“チャム”踊り
記号 | 番号 | カテゴリ | 大分類 | 中分類 | 小分類 | 大陸 | 場所① | 場所② |
E | 0263 | 民族学 | 音楽・演奏・舞踊・演劇・語り | 舞踊の仮面 | アジア | 南アジア | シッキム | |
場所③ | 民族 | 製作年 | 公表年 | 時間 | 色調 | 解説書 | デジタル | |
シッキム・ラマ | 1956 | 1962 | 12:00 | カラー | あり | なし |
1972年の回暦の儀式と祭り 2 インド・デーラズンでの大晦日の感謝の供物:守護神への捧げ物
記号 | 番号 | カテゴリ | 大分類 | 中分類 | 小分類 | 大陸 | 場所① | 場所② |
E | 2390 | 民族学 | 儀式・儀礼 | 仏教 | アジア | 中央アジア | インド | |
場所③ | 民族 | 製作年 | 公表年 | 時間 | 色調 | 解説書 | デジタル | |
チベット | 仏教徒 | 1972 | 1982 | 21:30 | カラー | あり | なし |
1972年の回暦の儀式と祭り 1 インド・デーラズンでの祭りの準備と黒帽子の踊り”ズヴァ・ナグ・ギチャム”
記号 | 番号 | カテゴリ | 大分類 | 中分類 | 小分類 | 大陸 | 場所① | 場所② |
E | 2389 | 民族学 | 儀式・儀礼 | 仏教 | アジア | 中央アジア | インド | |
場所③ | 民族 | 製作年 | 公表年 | 時間 | 色調 | 解説書 | デジタル | |
チベット | 仏教徒 | 1972 | 1982 | 17:00 | カラー | あり | なし |