EC応援団 Vol.1
関根秀樹
断片化された知の遺産をつなぐもの。
“知のミッシングリンク”
20世紀後半には失われてしまったが、かつてアフリカには、「地球を共鳴させる」楽器がいくつも存在した。地面に掘ったトックリ状の穴を手のひらで叩いて太鼓のような音を響かせたり、深く掘った穴の上に樹皮を張り、長い枝と糸でつないで爪弾いたり(グランドツィター)。穴の上に大きな木琴の音板を置いて叩くアース・マリンバもあった。実際にやってみると、足元から地鳴りのような重低音が響いてとても気持ちよく、刺激的だ。こんな発想は今の楽器や音楽にはまったく受け継がれていないし、それらが記録された文献やレコード、CDの存在を知る人も少ない。
大地を、地球を道具に。カラハリ砂漠のコオ・ブッシュマンは、木の臼を彫るのにまず穴を掘り、太い丸太を埋めてしまう。作業しやすくするため、穴で木を固定する、大地の万力である。EC「木のつくる暮らし」上映会の準備でこの映像を見たとき、穴を共鳴器にするアフリカの楽器の数々と、日本の鍛冶屋が地面に埋めて固定した金床の高さに合わせるため、立ち位置の地面を掘り下げて作業場とする伝統作法が、鮮明に結びついた。
エンサイクロペディア(encyclopedia)という言葉には、さまざまな知の断片をつなぐ環(cycle)が隠されている。文明化という名の画一化、標準化の過程で、すでに失われ、文献に痕跡すら遺されていない貴重な人間の知恵・わざ・道具。そうしたものが、ECのフィルムには確かに「記憶」されている。
東ノルウェーの水車鋸での板づくりは、田園の牧歌的な水車小屋のイメージとはかけ離れた水力エネルギーのすさまじさを見せてくれた。轟音と水しぶきを上げる水車の高速回転が歯車やチェーンドライブでみごとに上下や水平への動力に変換され、巨大な丸太を川から工場内に引きずり込む。時計のからくりを大型化したような機構によって、帯鋸の上下と連動して丸太が台上を小刻みに移動し、板は次々と、ほぼ自動的に挽かれて行く。
機械部品の多くが木製で、金属部品も鍛冶屋の手作りである以外は、すでに半自動化された「製材工場」だ。水車が電気に変われば今も地方にある村の製材所とほとんど違いはない。歴史の授業では学ばなかったが、蒸気機関による産業革命の準備は、水車による動力機構でほぼ整っていたのだ。そういえば自動車産業のプジョーは水車小屋の製粉機械を作る鍛冶屋が前身で、今もコーヒーミルやスパイスミルが得意だし、パイプを扱う自転車メーカーには鉄砲鍛冶出身も多かった。
そう。ぼくはこういうものが見たかった。こういう音が聴きたかった。こういうことが知りたかった。断片化された知の遺産をつなぐもの。近代以前から現代への、民族文化から文明社会への、ミッシングリンク。宝箱の中にひっそりと眠る記憶のかけらを一つ一つ見つけ出し、欠けたところに少しずつ埋めていけば、人間が本来持っていた文化の多様性と可能性が、もう少し見えてくるかもしれない。
1960年福島県生まれ。火の文化史から民族楽器、までさまざまな分野を研究。和光大学では「火の人間史 原始技術史入門」と「音と楽器のミンゾク学」、多摩美術大学では日本画・油画の「絵の具実習」。桑沢デザイン研究所では「手で考える道具と技術」を担当。北米インディアンの長老たちに摩擦発火法を指導した「火起こし世界チャンピオン」でもある。主な著書に『縄文人になる』(ヤマケイ文庫)、『焚き火大全』(創森社、編著)、『刃物大全』(ワールドフォトプレス、共著)などがある。