EC応援団 Vol.8
増野亜子
バリの杵つきのリズムに触れる。
ECがまいてくれた種。
エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ(EC)―「百科事典」と「映画」という、どちらもわくわくする刺激的なメディアがとけあったこのシリーズには、貴重で興味深い映像がわんさか袋詰めになっている。EC上映会にコメンテータとして参加させていただくことになり、準備のために映像を見ているうちに、映像の宝探しに夢中になってしまった。多様な分野の研究者たちがフィールドで出会った光景や音を、なんとか持ち帰ろうとつくった映像だから、撮影した人自身の発見の驚きや発見の喜びが映像からも感じられる。
このシリーズには私が専門とするバリ芸能の映像も数多く含まれており、今ではほとんど見かけなくなってしまった音楽の貴重な映像もある。女性たちが手に持った杵で、大きな細長い臼をリズミカルに搗いている映像(*)は中でも特に印象的なものである。それぞれの杵が落ちるタイミングは絶妙に組み合わさって、一つの音の流れを作る。このようなインターロッキングな演奏法はバリの伝統音楽の基本的な技法のひとつである。バリの脱穀作業は機械化され、農村の日常生活における杵つきは見られなくなったが、杵で臼を搗く行為そのものは寺院の大祭等では、今でも儀礼的に行われているようだ。しかしバリの杵つきのリズムに触れた研究は数少ないうえ、私自身が杵つきの音を実際にバリで聴く機会には、長い間恵まれなかった。ECの貴重な映像でその様子を知ることができたのである。
たまたまその数年前に中部ジャワのバニュマスを訪れた際に、そこでおばちゃんたちが「杵つき音楽」を演奏するのを聴いていた。バニュマスでも一時伝統が途絶えていたが、復興し、バニュマスの竹楽器演奏チャルンと合奏したり、といった新しい試みが行われている。映像を見ながらそのことを思い出し、バリ島とジャワ島の杵つき音楽のつながり、その広がりについて思いを新たにした。
この「杵つき音楽」には後日談がある。EC上映会の少し前にバリ島に短期調査に出かけた際に、バリ芸術祭でなんとバリ北部の「杵つき音楽」の演奏に遭遇したのである。やはり、たくましい腕のおばちゃんたちが大勢、そろいの衣装で力強く杵を搗くのを耳にしながら、私はこの奇遇に驚いていた。
しかしここで話は終わらない。実はEC上映会の半年後、別の調査で訪れたバリのイスラム教徒の集落で、預言者生誕祭マウリッドの前夜に、再びここでもおばちゃんたちが、杵でリズミカルに臼を搗いているのに遭遇したのである。20年以上バリを調査し続けてきて、その間に全く出会う機会のなかった「杵つき音楽」に急速にご縁ができつつある。もう少しこの縁が続いたら、そのうち私は杵つき音楽の専門家になれるかもしれない。
これもまたECの映像がまいてくれた種の一つなのである。
*この「バリの米搗き」映像の演奏は、本サイト トップページの動画のBGMでも使われています。ぜひ聴いてみてください。
東京生まれ東京育ち。専門は東南アジアの芸能・音楽研究で、とくに音楽家や役者の声や身体性、相互作用に関心があり、自身もバリの音楽家に師事してガムランを学びながら、研究活動と並行して演奏やワークショップなどの活動を行っている。ガムラン・グループ、パドマおよびマメタンガン主宰。著書に『声の世界を旅する』(音楽之友社)、『民族音楽学12の視点』(徳丸吉彦監修・増野亜子編)音楽之友社。現在、東京芸術大学、国立音楽大学、明治大学ほか非常勤講師。