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歓藍社「道具つくりとEC@小さな藍祭り」+わすれん! 「ペルーの葦舟と閖上の木造舟@星空と路上映室」レポート

モノを作る場と、人が集まる場を繋ぐ、道具と素材と音と匂い
歓藍社「小さな交易とものづくり」への試み

林 剛平(「歓藍社」)

 

▼ECが大玉村にやってくる
丁度一年前、2017年2月、せんだいメディアテークの上映室でEC活用チームの丹羽さんに会った。その時僕は、小国のクマ猟(2016年4月)と、歌津の木造舟さぐば(2016年7月)と、飯舘村の環境放射能調査(2016年3月)の映像を「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)の「星空と路」上映室で映写してもらっていた。歓藍社(かんらんしゃ)というモノつくり集団が大玉村で藍を育て始めて一年が経った時でもあった[1]。
丹羽さんは、世界の藍染めの記録を、大玉村で上映することを提案してくれた。せんだいメディアテークのプロジェクトである「わすれン!」もアーカイブにまつわる実験的な実践で、というのも、「わすれン!」は、機材を市民に貸し出し、記録を取るのを任せ、記録の公開・保存を引き受けるという開かれたアーカイブなのだ。僕は、2016年2月からわすれん!に参加している[2]。「星空と路」上映室は自分にとって、3.11に関する研究以外の最初の発表の場で、ECというアーカイブ群の活用を行われている丹羽さんに会ったことは、とても嬉しかった。

▼映像とアーカイブ
2013年に仙台に越してから参加した大学での研究プロジェクトは、東京電力福島第一原子力発電所(FNPP)事故によって、人が住めなくなった旧警戒区域内のウシを家畜衛生保健所が殺処分し、その臓器を研究試料として提供を受けていた。それらをアーカイブし、FNPP事故がもたらした生物影響を後世にでも解析可能な試料群をつくるというのが、その目的だった。2016年3月に、研究室のボスの福本学先生が退官されてから、広く使えていたアーカイブの保管スペースも1/8程度に縮小し、未解析の試料の一部は破棄を余儀なくされた。アーカイブの価値というのは、その時には分からないだけに、アーカイブを維持することの困難さを痛感する出来事であった。研究者のできる貢献と言えば、論文を書き、アーカイブを世に知らしめることであったが、僕は論文を書くのが苦手だ。遅い。諸先輩方から、辞めた方がいいと言われるくらいだから、謙遜しているわけでは決してない。そんな、ザルのようにしか出来事をすくえない自分が、目の前を流れていく景色を少しでも人に伝える術はないかと、すがったのが映像記録で、その世界をわすれん!が拓いてくれた。論文の二の舞にならないよう、映像の編集は努めて迅速に行うようにした。映像を見ないで、撮った時の記憶を頼りにパッと繋いでいく。身体にきくという感じ。少しばかり、アーカイブと云うものの意味と価値に甘えているかもしれないけれど、映像には見る人、時、場所によって価値が変わる力があると思っている。そんな遊びが映像だった。

▼小さな藍祭りとEC
丹羽さんとお会いした時に、大玉村でのEC上映の日取りは「夏のお祭りの時が、見る人が多くてきっといいね」と、すぐに決まった。その準備として、藍染や、繊維の加工に関する映像のリストを頂き、それを見る機会をなぼさん宅で提供してもらった。沢山見てみたいと候補を挙げたものの、実際見せて頂くと、五つ程度で根をあげてしまった。一つづつの意味を咀嚼するまもなく次の映像が始まっていくと、なんだかとても惜しいのだ。そこで、大玉村の小さな藍祭りは、二日に亘って行われるので、それぞれの日の始まりに、一つづつ見る機会を設けることにした。一つは、北ヨーロッパ、ユトランドで1948年に記録された藍染めの記録。(E0928)これは、現地の紺屋さんの記録だった。 もう一つは、ポルトガルで1970年に記録された、 タブアデラの水車でのフェルトの縮絨の記録。(E1959)
小さな藍祭りでは、藍染というものが衰退していった背景に、効率化に伴う共同作業が減ったことがあるのではという仮説を立てていた。そこで、共同での作業が必要となる藍染めの道具作りから準備した。一人では出来ないが、大規模でないチュウキボの道具。そこで歓藍社が作った道具は、コンクリート製の重さ300kg直径150㎝程のお皿と、重さ20kg直径33㎝の欅の球体だった。この玉が皿の中を転がり、藍の生葉をつぶし、その痕跡が布に転写されるというもの。その道具を作ったことによって、ゴロゴロ染めという技法と言葉が生まれた。染め上がったものによる作物は、現在生まれている途中だ。そのゴロゴロ染めの所作と、初日に上映されたユトランドの藍の染料を液化する前に藍を砕く所作が同じ、「皿の中で球体を廻す」というものだったことは興味深かった。その映像が流れた瞬間、「あ!同じだ」と歓声が上がった。ECの記録には、機械化以前の技法が多く残されており、チュウキボのモノつくりに焦点を当てている私たちが学べることは多い。
二日目の映像は、水車の動力を用いたフェルトの縮絨であった。これも、味わい深い工房が映され、外には水車があるのが分かる。しかし、最初は何をやっているのか分からないのだけれど、見ているうちに徐々にフェルトが縮絨されている様が分かる。湯気から、「今かけたのは、お湯に違いない」など推察するのも楽しい一場面だ。作業場で出来上がったフェルトを、歩いて運び、広大な石畳みの斜面に広げる様は圧巻で、こうした土地でモノが出来ていくのだなという感銘を覚えた。大玉村も、安達太良山の山麓にあり、普段呑んでいる水も300年ほど前の地層からしみ出る湧水だ。これがまた美味い。こうした土地の骨格を利用して、小水力発電の計画をしていたために選んだ一本であったが、見終わった後には、発電よりも、水車の動力をどう利用するかの方に関心が移っていた。
両日とも、朝9時からという上映だったが、夏の時期の農家の人にとっては、一仕事終えて暑くなる前の一服の良いひと時だった。多くの人が、なぼさん、きららさん、にわさんの話を聞きながら、映像を見ながら気づいたことを談笑し、これから始まる一日の祭りにわくわくしていたように思う。まだまだ、ECの布にまつわる映像は見てみたいものが多いし、小さな藍祭りはこれからも続く。いよいよ、染め場の建築も始まる。是非またECが大玉村にやってくるといいな。

E0928

E0928 藍染め 北ヨーロッパ ユトランド 1948年撮影

 

E1959

E1959 タブアデラの水車での布の縮充 ポルトガル 1970年撮影

 

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小さな藍祭りでのEC上映の様子

 

 

 

 

 

 

 

▼閖上のさぐばとEC
とても嬉しいことに、一年を経て、また丹羽さんと、せんだいメディアテークの上映室でお会いする機会を得た。今回は、昨年上映したさぐばを短く30分に編集し直したものと、EC提供のペルーのカバリトと呼ばれる葦船の記録を合せて上映し、その後、今後の津波被災地域の風景について思いを馳せるトークイベントというものだった。ECの舟にまつわる映像アーカイブの量は多く、幾つか候補を検討している中には、木造船のものもあった。しかし、ECの木造船の映像とさぐばを合せて試写した後に想起されることは、木造船の工法の違いや、素材の違いといった、ちょっと細かい話になりがちだなと思った。そこで、もっとも古い歴史を持つ草の舟であるカバリトを、さぐばにぶつけてみようということになった。
さぐばと呼ばれる木造舟は、閖上という町でかつて造られ使われていた人々に馴染み深いものだったとこを、閖上の方々の聞き取りの中で知った。仙台に越してきてから、あんまりにも友達が出来なかったので、アンデパンダン展に出展することにした。竹を割いて編んで直径180㎝位の球体の籠を作って出した。仙台アンデパンダンの初の野外展示ということもあり、そこには界隈の友達になれそうな人が集まる気がした。やっぱり、その人は居た。八木山動物園のアフリカゾウの庭を設計した上原さん、紙漉きから紙を作っている、かみとゆきに出会った。搬入にときに意気投合し、中秋の名月の夕暮れ、上原さんが作った床で話をした。2015年9月のことである。
伊達政宗の都市計画には、興味深いものが多々あり、その一つが慶長16年(1611)の地震・大津波、名は貞観大津波。この引き波が作った窪地を繋げて作った堀群、その計画を担ったのが川村孫兵衛重吉。その堀は、閖上にある木挽き堀から始まり、青葉城の建材や食料を供給の基となったものであるとの話。また、閖上は、地域の人の仲が想像もつかないくらい密接で、これからの地域を考えるヒントが沢山ある場所の様だった。上原さんに誘われて、貞山運河研究所に行った。会議は、得意でなかったので、聞き取り部会というのを起ち上げて、色々な人に紹介された人に会いに行く機会を得た。どの方のお話の中にも、季節があり、不思議とさぐばと呼ばれる木造舟が登場した。さぐばで、野菜を運び、朝靄の中薪になる材を運び、学校に行くために川を渡してもらい、時には救急車代わりに仙台市内まで妊婦さんを搬送することもあったそうだ。作業場てんじて「さぐば」と呼ばれるという話も聞いた。水の上の作業場、水の上の道。わすれちゃならない大事なものな気がした。聞き取りの後の、報告書を書いても、いまいち分かりにくかったので歌にした。初めて歌を作った。ほうぼうで唄っていたら、2016年の2月に舟を作れる算段が付いた。記録の必要を感じて、ネットを探している時、偶然メディアテークのサイトにいきついて翌週「わすれン!」に入った。

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さぐば(120分)の映像は、 せんだいメディアテークで開架されている

 

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E0642 アシ舟”カバリト”づくり 北ペルー西海岸 1962年撮影

 

さくばとECが記録したペルーのカバリトには、作る場所と人に暮しがとても近いという類似点があった。暮らしの傍でモノを作るということは、モノの素材の成長を感じることや、モノの制作時の音や匂いを、モノ使い手が作り手と共有することが出来る。これは、当たり前のようなことだけど、現在のモノつくりの現場からは遠くなってしまった大事なことだ。2018年2月に上映された、さぐばの映像には作業音が入っていたため、木を削る音、鉄を槌で叩く音が入っていた。その映像を見た後、ECの無声映像を見ると、葦を刈る音、それだけでなく、青々とした草の匂いまで聞こえてくるようだった。ECは、無声映像に講談師よろしく、映像提供者がいろいろな語りを入れることが多いそうだが、今回は映画館で上映されたこと、さぐばと連続で上映されたことが相まって、皆じっとその映像に見入っていた。白黒の映像に、色を感じるように、無声映像のもつ想像力の糊代を知る機会になったように思う。ECの記録群には、見る人のからだの記憶を映す力があるなと感じた瞬間でもあった。歌には、形が無いけれど、景色を映すことも出来る。遠く離れた昔の話、おばあちゃんに寝る前に連れて行ってもらった景色の旅のようなことが、ECと一緒に居るとふと思い出される。

 

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わすれん!星空と路資料室で、海辺の石を使い言葉の地図を描くように柄を作る

 

[1]歓藍社(かんらんしゃ): 主に福島県大玉村で衣食住に関わるモノつくりを行いながら、藍の生葉染めを探求するもの、場所 http://kanran-sha.net/
[2]3がつ11にちをわすれないためにセンター:東日本大震災のアーカイブを行う、せんだいメディアテークに本拠地を置くプロジェクト。略称は「わすれん! 」。年に一度2月末に行われる星空と路上映室では、参加者の記録映像を、映画館の設備で上映する。http://recorder311.smt.jp/